『何様』著:朝井リョウ を読みました。
主人公は人事部で採用部署に配属された新入社員。
去年までは就活生として選んでもらう側にいたのに、今年は面接官として選ぶ側にまわり
自分なんかが人の一生を左右するような決定をしていいのか、
自分なんかよりも就活生の方が優秀なんじゃないか、
仕事なんだから自分の仕事を全うしなければと思いながら揺れ動いています、
「自分は何様なんだ」と。
私も考えさせられました。
聞いているだけで不快になるパワハラ上司
世の中的にハラスメント規制が厳しくなっています。
でも残念ながら、そんなことは関係ないという人の話を聞きました。
たまたま同じ職場・同じ部署・同じ仕事で上司と部下という関係
大きな声で怒鳴ったり皆の前で仕事が出来ないと罵られたら、
部下としては萎縮してしまいます。
たとえ上司に悪気がなくても怒鳴り口調は響き渡り、まわりも嫌な気持ちになります。
怒鳴ったら仕事は出来るようになるのでしょうか。
頭ごなしに部下を怒鳴りつける上司がいる時点で、
会社として管理職育成が出来ていないのでNGではないでしょうか。
結局、怒鳴られ続けた人は弁護士を通じて退職したとの結末でした...
パワハラされた人が退職し、パワハラした人はそのまま会社に居続けるって
おかしいですよね???
また、たまに駅やスーパーなどでも怒鳴りちらしている客がいますが、
お客様なら何をしてもいいのでしょうか。
明らかに理不尽なことを言って困らせたり、むしゃくしゃしている腹いせだったり
自分より下の立場の人を見下すような態度はその場に居合わせた人全員を不快にさせます。
社会生活を営んでいる以上、立場なんて紙一重です。
そう、何かをする側にも、される側にもお互いなっているのですから。
人にされて嫌なことは人にするな、と幼稚園で教わりましたよね。
何様 ペルソナ 外的側面
立場が違えば自分が「何様」にも「何様」と思う側にもいとも容易くなれてしまいます。
私たちはその場面場面に応じたペルソナという外的側面を持っています、
- 家庭での役割(妻・夫・母・父・娘・息子 etc.)
- 会社での役割(上司・部下・同僚・取引先 etc.)
- 社会での役割(客・患者・子供の友達のお父さん・PTAの役員 etc.)
たとえば同じ人物でも、家では子供から見たら母であり夫から見たら妻、自分の親から見たら娘で、職場では肩書や同僚・上司、社会の中では病院に行けば患者でスーパーで買物したら客で趣味の習い事では生徒etc.というように。
漫画「ガラスの仮面」の中で、千の仮面を持つ少女と言われたマヤちゃんのごとく
私たちもその場その場で何度も仮面を取り換えながら生きているのです。
そう、何かをする側にも、される側も紙一重でなっているのです。
常識とは アインシュタインのことば
朝井リョウさんの本を読むと衝撃を受けることが多いです。
以前はゆとり世代の代表みたいなイメージでしたが、読んでみたら文章力の鋭さに引き込まれました。
朝井さんに限らず作家という職業の方は、
鋭い観察眼を持っていながら俯瞰して物事を見ている
そして孤独な作業との闘いなんだろうなぁ~と想像します。
常に自分自身と向き合い続けていることの大変さ。。。。
常識とは、18歳までに積み重なった偏見の累積でしかない
アインシュタインのことばより引用
『正欲』著:朝井リョウ
を読んだときは、自分の常識が覆されました。
なかなか自分の持っている常識という名の価値観を手放すことが出来なかったのに、
この本を読んだら一気に手放せるほど圧倒されました。
この本を読んで、アインシュタインのこの言葉を知って腑に落ちました。
自分の価値観という枠を自ら作って自分に制限を設けている、
こう思えてすんなり手放すことが出来ました。
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