治療家に学ぶ「親切」に考えさせられる

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私の養生・健康予防

私がやっていることをあえて分類するならば、

養生であり大きな意味での健康予防という分野になるのか、と。

自分自身をケアする、病になる前に予防する、

そのためのものでありココロもカラダも食事も運動も日々の生活すべて、

そのことを自分も含めて生徒さんと一緒にやっている、そんな感じでしょうか。

ちなみに、明日死ぬとわかっていてもやるのが養生

健康予防は自己投資であり、社会貢献の1つだと思っています。

治療家の言う10年後の迷惑

治療家という方はいます。

私自身もカラダのメンテナンスは定期的に治療家の方にお願いしています。

その方達は、自分のことは二の次で

なによりも相手のためだけに頑張っていらっしゃって本当に頭が下がるのです。

以前、やはりその道を目指し勉強している生徒さんと話していたら

「今の親切が10年後の迷惑にならないようにする、ということを心掛けている」

と聞いて衝撃を受けました。そんなこと考えたこともなかったので...

人は常に変化しているし、タイミングや環境なども違います。

ついつい良かれと思ってあれもこれも施しても、

その人のタイミングやらその他もろもろを理解したうえで施さないと、

によっては10年後に迷惑になるのだと。

私自身は貧乏性だからかレッスンの際についあれもこれもと詰めこんでしまいがち

せっかく来て頂いたんだからという思いもあってのことだけど、

これは実は逆効果だったのです。

よほどのことがない限り、一度のレッスンでカラダは変わることは出来ないし、

何十年もかかって今の状態に到るものを一瞬で変えてしまう様なことは

逆に良くないのでは、と。

結果でなく、その過程を大切にゆっくり時間を掛けて取り組んでいくことが

私のやっていくべくメソッドなのだと、改めて痛感させられました。

そんなことを考えていた日に、

読んでいた本「禅語」の中で親切についての項がありました。

親切、という言葉はとても一般的た。

これが「道にしたくねんごろである」という言葉だとはまったく知らなった。

道、つまり仏の道に近いことをするのを「親切」というのだ。

親切にする、ということは、

相手のために何かをするというより、自分の生きる道に近づくための、

自分が自分のためにする行為、というような言葉の意味なのだ。

「禅語」石井ゆかり より引用

癒しも親切に通じる

そして「癒し」という言葉についても同様に考えされられました。

いわゆる?癒し系という職業について約20年。会社員を経てこの業界に入りましたが、

占星術でもヒーラーの方からも「あなたは癒し系の職がいい」と言われ

(その時点ですでにこの業界)今は納得です。

この「癒し」という言葉の意味も、「親切」に通じるなぁ、と感じています。

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